「うなごうじ祭り」はうじ虫の祭り
紋付き袴姿の青年氏子たち
天王社にある獅子頭を八幡社に奉納する御輿行列
うじ虫祭りのいわれ
その昔、牛久保の城主が領地の農民をねぎらうために、農民を城へ招いてご馳走しました。彼らは大いに酔っぱらい、道に寝っ転がったと言います。領主の恩を後世に伝えるために、その様子を踊りにしたのがはじまり。
笹若組の笹踊り・ヤンヨー神
茶髪にピアスの青年もビシッと参加
各組は「馬簾(ばれん)」と言われる山車を掲げています。氏子の青年たちは「渉り(わたり)」という決まりによって引き継ぎの儀礼の挨拶をするのです。茶髪にピアスの子もいるけどビシッと決まってます。
決して倒してはいけない馬簾の山車
馬簾は神聖なものなので絶対に倒してはなりません。『魁!!男塾』の男塾至宝大塾旗「喝魂旗」のようなものでしょうか。でもこの日は強風で黄砂が吹き荒れていまして、なかなか前へ進めません。馬簾が傾くたびに周りから「うわーっ」と声が上がります。
ぐるぐる回るよヤンヨー神
3つの組が通り過ぎいよいよ笹若組。ヤンヨー神が輪になってぐるぐる回り始めました。見た感じ「体育会系ラグビー部・新入生歓迎コンパ in 白木屋」の図です。よたよたとした千鳥足は酔っぱらった様子を表現しているのかと思いきや、みんな顔が真っ赤っ赤。ガチの酔っぱらいです。突然後ろ向きにばったり倒れるヤンヨー神。
起こされるまで立ち上がれない
彼らは起こされるまでじっと寝ていなければなりません。でも酔っぱらっているので道路に寝っ転がっているのが気持ちよさそう。周りは「まだ起こさんでええぞー」とはやし立ててます。ヤンヨー神は回ったりぶっ倒れたりを繰り返しつつ、天王社へ向かっていきました。
大の大人が堂々と酔っぱらって道路に寝っ転がれる祭り
「奇祭」の珍スポットレポート
酔っぱらいもっと知るための一冊
![]() | 江戸風流「酔っぱらい」ばなし 堀 和久 講談社 2002-11 江戸時代の川柳や小話を元にしたお酒雑学本。残念ながらまったくの下戸なのでお酒のみがうらやましい。落ち込んだときお酒で紛らわせることができたらいいのになあ。 |
【牛久保八幡社・うなごうじ・うじ虫祭り】
牛久保八幡社・うなごうじ・うじ虫祭り
住所 :愛知県豊川市牛久保町 牛久保八幡社
電話 :0533-89-2140(豊川市観光協会)
開催時期:04月07日〜08日に近い土・日曜日
駐車場 :隣のJR豊川駅の駐車場(1日500円前後)に駐車して電車で移動が良いかと。
関連URL :そうだら国(うなごうじ祭)へ 酔うこそ
2006年04月11日




















また大変申し訳ありませんが、2009年より管理人のレスがついていたりついていなかったりしてます。特に他意はありませんが、ご不便をおかけしておりまして申し訳ありません。
牛久保在住の柴田と申します。
昨年まで上若組大山で笛を吹いておりました。
参考までに拙稿『穂国幻史考』(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/)第三話拾遺で若葉祭と笹踊りについて言及してあります。
上若組に出ていらっしゃったんですね。このお祭りは若い方がたくさん参加していて活気を感じました。参加しているみなさんがとても楽しそうで、見ている私も気持ちが明るくなりましたよ。
サイトを拝見いたしました。お祭りの成り立ち、いわれなどたいへん詳しく勉強になりました。ありがとうございます。
拙稿拝読いただきありがとうございます。
私が若い衆をやっていたのは、二十年以上前のことです。
私が総長のときは、上若だけで四十人ぐらいいました。
来年は、「隠れ太鼓」をみることをお勧めします。
以前はたくさんの若い方が参加されていたんですね。今年は日程の都合で本祭が見られなかったのですが、来年はぜひ山車なども見に行きたいと思っています☆
うちの親父のころは、上若だけで百人は超えたそうです。
宴会のときなど、下座からは、総長の顔がかすんで見えたといいます。
今ではぎりぎりの人数ですが、当時は、ろうそく持ちなどの役をつけても役がつかない若い衆が続出したようです。
親父のころは、三つ車が終われば、夜も明けだしたそうです。
私が隠れ太鼓を踊っていたころ(三十数年前)でも十二時過ぎに三つ車でした。
親記事の上若の会所前の写真、私もあのとき、会所の中で祭事係さんの裃の袴縛っていました。
私の家は、上若の会所から数軒駅よりの天星というすし屋の前です。
是非来年もお越しくださり、最後の三つ車ご覧ください。
てんてこ祭りの情報、ありがとうございます☆
いやあ、愛知は奇祭が多いですね。これはぜひ取材に行かなくては。調べてみたところ、現在は、毎年1月3日午後1時から行われているそうです。面白そう!
また若葉祭の季節が近づいてきました。
このたび「蛆虫説」が単なる都市伝説に過ぎないものであることを改めてまとめ出版しました。
下記の頁に目次等が掲載されています。
http://www.honninaru.com/web_order/publish/market/shousai.cfm?b=30002991
出版おめでとうございます! 若葉祭についての歴史が分かる、興味深い内容ですね。
うじ虫に似ているからというのは都市伝説なんですね。でもこれだけ広まってしまうと、なかなか誤解を解くのが難しそうです……。
ありがとうございます。
さて今年の若葉祭は笹踊が奉納されるようになって三百年ということで、寺町(笹若組)もなにか企画をしているようです。
ヤンヨウ神は、この笹踊の囃し方。当然、ヤンヨウ神の登場も三百年前ということになります。
麻里さんも書いていられるように一般にヤンヨウ神の起源は、「その昔、牛久保の城主が領地の農民をねぎらうために、農民を城へ招いてご馳走しました彼らは大いに酔っぱらい、道に寝っ転がったと言います。領主の恩を後世に伝えるために、その様子を踊りにしたのがはじまり」といわれています。
この説についても十数年前に地元の新聞で疑問を示し、前著『穂国幻史考』(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage2.html)第三話拾遺一でもこれを踏襲し、ある程度認められるに至っています。
どのような疑問かといいますと、まず「城に招いた」のであればなぜヤンヨウ神一行は城跡から出発しないのだ?
戦国時代に城に領民を招けば間者が侵入する余地がある?
この二点です。では、真相は?
上述のようにヤンヨウ神は、三百年前に始められます。西暦1708年からです。
その前年には宝永の大地震があり、1750年に三州吉田呉服町の住人・林自見(1694〜1787)が著した『三州吉田記』にもこの地方での被害が記載され、続けて城主・牧野成央が吉田惣町に酒と金品を振る舞い町衆は「大日待」を行った旨が記されています。
当時牛久保は旗本領でしたが、牧野氏が故地牛久保にも酒を振舞った可能性は大です。
だからこそ、ヤンヨウ神が祭りに登場するようになったのでしょう。
しかし、この振る舞い酒は越権行為、それゆえ牧野氏が牛久保城主時代の故事としたと考えられます。
十数年前に私が打ち出した「笹踊、朝鮮通信使影響説」もいまでは常識となっています。
いずれ「蛆虫説=都市伝説」も定説化すると思います。
なるほどー。そう言われると確かに不思議だなあという部分がありますね。詳細なコメントありがとうございます☆ 私としてはこのような伝説がなぜ広まったかという経緯に興味を惹かれましたよ。
私も妄説あるいは俗説の伝播の経緯については興味が尽きません。
だからこそ前著のタイトルを「幻史考」としました。
私は蛆虫説が否定されても「うなごうじ祭」の歴史的価値は変るものではなく、必見の祭のひとつだと思います。