世界三大美女・楊貴妃が日本に!?

クレオパトラ、小野小町と並んで世界3大美女と言えば楊貴妃。唐の玄宗皇帝の寵愛を一身に受け、安史の乱を引き起こす原因となった「傾国の美女」でもあります。さてこの楊貴妃が日本に渡ったと言う驚きの伝説があるんですよ。その最期の地といわれるのが
山口県向津具(むかつく)半島です。
山口県・二尊院にある楊貴妃の墓

楊貴妃のお墓があるのは「
二尊院」。この地には絶世の美女・楊貴妃が戦乱を逃れてたどり着いたという伝説が残っています。そんな歴史ロマンにちなんで、1993年に中国風の公園「
楊貴妃の里」が作られました。中国の馬嵬(ばかい)に立つ像と同じ、大理石造りの楊貴妃像が建っています。像の高さは3.8メートル。楊貴妃が亡くなった年齢・38歳と同じ数字です(38メートルじゃないの? というツッコミは無視)。
亡骸が見つからなかった楊貴妃

なぜそんな伝説が生まれたのか。一番の理由は楊貴妃の亡骸が見つからなかったことです。安史の乱の兵士たちは原因となった楊貴妃を殺すよう玄宗帝に要求。泣く泣く玄宗帝は馬嵬で楊貴妃を縊死させました。楊貴妃の亡骸はその地に葬られたのですが、これからが問題。
墓にはお香袋だけが残っていた

安史の乱によって洛陽は陥落し、玄宗帝の退位などごたごたが重なり、楊貴妃の墓の改装はなかなか実現しませんでした。やっと内密の勅使が墓を掘り返したところ、遺体はボロボロに崩れており、お香を入れた袋だけが残っているという状態。これでは楊貴妃なんだか、別人なんだか分かりません。
(注)替え玉? 逃げ延びた?

そのため「息を吹き返して逃げ延びた」「亡くなったのは替え玉だった」などの噂が生まれました。二尊院に伝わる二冊の文書『二尊院由来書』『楊貴妃伝』は、村の言い伝えを故老から聞いて1766年に当時の住職・恵学(けいがく)氏が書き留めたもの。ここにその詳細が載っています。
異国の地・日本で亡くなった楊貴妃

「唐土玄宗皇帝の愛妃楊貴妃なるもの、空艫船(うつろぶね)にて、当村唐渡口(とうどぐち)という地へ漂着。まもなく死去したまいぬれば、里人相寄、当寺院境内に埋葬」とあります。小舟に乗ってたどり着いた楊貴妃。里人が手当したもののその甲斐なく息を引き取り、ねんごろに葬られたお墓が二尊院境内の五輪の塔です。
玄宗帝の夢枕に立つ

またこんな逸話も書かれています。玄宗帝は楊貴妃が日本で亡くなったことを夢で知り、霊を弔うために使者に2体の仏像を託します。しかしその使者は誤って京都の清涼寺に仏像を預けてしまいます。困った朝廷は全く同じ仏像を日本の仏師に作らせました。以後清涼寺と二尊院で1体ずつ分け合って安置することになったといいます。
仏像の作られた年代は鎌倉時代

さてその仏像、現在の副住職・智暁さんのお話によると、どうも唐の時代に作られたものではなく鎌倉時代のものらしいのです。そして京都の清涼寺にはそのような記録も伝承も残っていないとか。ではいったい唐からの仏像はどこに? そもそも五輪の塔の下に埋まっているのは誰?
私も信じていますよ

墓を掘り返して、学術的な調査をする予定があるか聞いてみたところ「そんなことしても誰も得をしませんし、そっとしておいた方が……」と智暁さん。そしてここには楊貴妃が眠っていると信じていますよとニッコリされました。もちろん私も信じていますとも!
西を向いている楊貴妃の墓

この地では昔から韓国や中国から漂流してたどり着いた人が多くいたそうです。このあたりの方言では友達のことを「チングー(韓国語で「友達」)」と言うそうですし、大陸と何らかの関わりがあったのでしょうね。普通五輪の塔は南向きですが、楊貴妃の五輪の塔は西の中国の方向を向いています。懐かしい故郷を眺めているようですね。
美人になる御利益が!

楊貴妃のお墓にお参りすると、綺麗な子どもを授かると言われ、安産、子授け、縁結び、美人になる御利益があるそうです。一心不乱に手を合わせ、お守りまで買ってしまったワタクシでありました。中華風のエキゾチックな楊貴妃の里はトイレも中華風。でもちゃんと「しきり」があって中国風の丸見えトイレではありませんからご安心を。あーあ、歴史ロマンレポートだったのに、最後はトイレで締めちゃったよ。【麻理】
※注……楊貴妃の最期については、紐で絞め殺された、自分で首を絞めて死んだ、黄金の粉を飲んで死んだ……など諸説ある。また中国の墓についても、墓そのものが見つからなかった、墓はからっぽだった、靴だけが入っていた……などこちらも諸説ある。
「楊貴妃」をもっと知るための一冊
 | 楊貴妃―大唐帝国の栄華と暗転 (中公新書) 村山 吉広 中央公論社 1997-02
楊貴妃の生涯、唐朝の栄華を歴史書を元に伝承を交えつつ紹介。日本渡来伝説についても詳しい。もちろん二尊院の楊貴妃の墓も写真付きで載っている。 |
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住所 :山口県長門市油谷向津具下3539
電話 :0837-34-1065(二尊院)
0837-34-1595(楊貴妃の里・売店)
休観日:境内参拝自由・仏像の公開は予約制
拝観料:境内参拝自由
本尊見学料4名まで1000円、5名以上1人200円
駐車場:無料(30台)
関連URL:二尊院本堂
2007年12月18日
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珍スポット観光の注意事項】
ところで、京都に泉涌寺(せんにゅうじ)というお寺があって、そこに、楊貴妃観音像があります。その像は、京都市の看板どおりに書きますと、「たまたま建長七年(1255)中国に渡った湛海(たんかい)はこの像を持帰り、ここに安置したという」ということなのです。…「たまたま」って?(←ココ、他のブログでもツッコミまくり)(;一_一)アヤシイ
その像が持ち伝えられた時代は、中国は南宋で、日本は鎌倉なのです。ほらほら、智暁氏の話と合ってくるでしょ。二尊院の仏像の製作時期が。
それに、1766年に恵学和尚が書き留めた古文書の逸話なのですが、寺の名を和尚が聞き間違えたんじゃないの?せんにゅうじ(泉涌寺)→せんりょうじ→せいりょうじ(清涼寺)…。てなぐあいで。
京都の楊貴妃観音像は、1955年(昭和30年)から一般公開されるまで、長らくの間100年に一度だけ公開する秘仏であったのです。1255年から100年ごとに公開されているとしたら、1755年に公開になったはずです。その記憶も新しいその11年後に、古文書が編集されたわけですから、それに乗っかって逸話として作られたのかもしれません。
以上、根拠のないわたしの想像です。本気にしないでください。
そうそう、次回の京都取材ときは、泉涌寺にもどうぞ。(看板にツッこんでやってください。)
実際は公共の交通機関だけを使って「楊貴妃の墓」に行くのはかなり大変ですよね〜
せっかくなので近くの麻羅観音に立ち寄って俵山温泉で一泊してほしかったですね(麻羅観音はNHKでは放送できないでしょうが・・・・・)
楊貴妃の墓に着いた時の麻理さんの喜びの表情がいろんな意味で微笑ましかったですね〜
そういえばご存知かもしれませんが、長門市のお隣、下関市に小野小町のお墓がありますよ(同じ山口県の光市にもあるらしい)。
山口県下関市豊浦町川棚中小野
http://odekake.jalan.net/spt_35443aj2200120747.html
世界三大美女の内、二人のお墓がある山口県はスゴイ!!
番組を見てくださってありがとうございました。「ムカツク」はいろんな大人の事情でそのように言うことになったのでした。まあ、お約束ってことで。
京都の泉涌寺、3年前に行ったことありますよー☆ もちろんそこでもお守りを買って今も大事にお財布に入れてます。これで御利益二倍だっ!
BLACK_OXさんの名推理、冴えていますね。なるほどと頷きましたよ。聞き書きなので実は泉涌寺だったってこともあるかも。どちらにしてもいろんな想像ができて、面白いスポットですよね。
情報ありがとうございました。京都特集第二弾ではぜひまたあちこちでかけたいですね。
■ほいじんがさん
麻羅観音は、ご住職の智暁さんもご存じでしたよ(実は珍スポットがお好きなのだとか)。でもNHK的には……無理よねえ……。
他にも弥生パークや彦島ピラミッドなど行けるかもと地図や資料を持参したんですが、撮影は日没ぎりぎりまでかかり、向津具だけで終了となってしまいました(TロT)撮影って大変なのね。
さすがほいじんがさん、山口の珍スポットにお詳しい! 小野小町の墓はぜひ山口特集でぜひとりあげたいです。情報感謝です☆
例えば変な駅舎とかです。お役所が何の洗練された意図もなく、ただ単に地域性を示そうと埴輪型の駅舎を作るとか、美術的には評価は低いのですが、馬鹿馬鹿しさ、下らなさで、とってもチープな笑いが感じられるような気がします。
鋭いご指摘ですね。おっしゃるように、バブルの箱物建設がたくさんの珍スポットを生みだしています。この楊貴妃像にもふるさと創生基金が使われていますし。
問題を掘り下げてしまうとブログの趣旨とずれてしまうこともあって、あまりダークな部分には触れていませんが……。今後もそんな珍スポットをたくさん紹介していきたいです。
新年早々ですが、訂正があります。
先日、泉涌寺の楊貴妃観音像を紹介したのですが、その立て札の件です。
前回は「たまたま、建長7(1255)中国に渡った湛海はこの像を持帰り、ここに安置した。…」と紹介しましたが、今回初詣がてら、泉涌寺まで足をのばして確認したところ「建長7(1255)中国に渡った湛海はこの像を持帰り、ここに安置した。…」と「たまたま」が削除されているではありませんか。立て札も新しくなってて…。
お寺さんも、やっぱり、「たまたま」はさすがにマズいと思ったんでしょうね。他の人のブログでもツッこみまくられてたしね。
というわけで、泉涌寺は珍スポットではなくなってしまいました。(T_T)
また探さなくては…。
2007年はたくさんのコメント、情報をありがとうございました。勉強になることが多くて助かりました☆ 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
泉涌寺の立て札は訂正されていたんですね。足を運んでくださってありがとうございました。やっぱりまずかったのかしら……。それはそれで面白いと思ったのですが。残念〜。